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意味論的三角

スタイルとは主体=主観的な矛盾――個人と社会のあいだの緊張――の昇華なのであり、主体を構成することを脅かしている近代生活の抑圧的な外部性の昇華なのである。スタイルとは幻想にすぎず、隠蔽なのだ。その背後にばらばらになってしまった主体が、近代の精神生活(Nervenleben)から逃避できるための隠蔽なのである。(『ポストヒューマニズムの建築――ハンネス・マイヤーとルートヴィヒ・ヒルベルザイマー』第2章50頁)

ゲオルク・ジンメルのスタイルの概念に対立してアドルフ・ロース*1の反スタイルがあり、このロースの態度は、ジンメルにおけるモナド的主体と資本主義(外部世界)のあいだの対立を「取り持つ」役割として存在している。この二者の複合体〈C〉は、互いに反対項である「〈S〉中心化された人間主義的主体」と、「〈‐S〉資本主義の生活様式」を持ち、それら二項には自身に矛盾する(その対偶としての)〈非S〉〈非‐S〉がある。そして、この〈非S〉〈非‐S〉が〈S〉と〈‐S〉の対立に対して調停的な役割を果たし、その調停的(中和的)作用によって中立項〈N〉を創出できる。ユートピア(Utopia)はこの中立項として定義づけられ*2、対立項と中立項がそれぞれ三頂点となり「意味論的三角*3」が完成される。

中心化された人間主義的主体〈S〉に対して、非-主体、脱中心的でノマド的で集団的で反人間主義的な主体〈非S〉が置かれ、資本主義の生活様式〈-S〉に非-資本主義〈非-S〉が置かれる。そして、それらふたつの対偶項(〈非S〉,〈非-S〉)が結託することで、ユートピア的な中立項〈N〉が現れる。ジンメルのスタイル理論(及び複合項)は、その複合項が有する対立項が中和されたとき(ユートピアが出現したとき)に転倒される。