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201027

 

大しておおきな感情は持たなかったので書かなくてもいいかなと思ったが、とりあえず書いてみる。無限列車を観に行かないかと友人に誘われた。さして断る理由はないのでおkした。なんとなく成人男性がソロで行くのは気恥ずかしい、そんな気がした。公開直後のほとぼりが冷めたあたりでひとりで観に行くのはトレンドに負けて気になったから観に来ました、みたいなポーズに捉えられかねない。が、僕はそんなこと気にせずに行こうとは思っていた。そうやってトレンドを一瞥しながらも背を向けようとする、逆張りなポーズは決して得がない。そんなことを僕だっていつかに気づいたわけだ。とりあえず試してみて合わなかったらそこから降りればいい。

この映画についてはひとりで観に行かなくてよかったなと、終わってみて思った。さてさて一体どのようなものかと半信半疑ながらも観に行けば、終幕に抱いてるであろうおおきな晴れなさはひとりで延々と考えることになるかもしれない。いや、そこまでではないか。かんたんに結論付けられることであろうし、そこまでおもしろくもない。しかし、そこで大人げない論議をするのもかっこわるい。知られた事実としても、鬼滅は子どもに楽しまれるようなわかり易いマンガなのだ。かんたんなことである。

それは理解されたうえで、しかし、ぼくらにとってそれは冗長なものに感じられるわけで、じゅうぶんな説明台詞やシリアスパートとコミカルパートのちぐはぐなつなぎ合わせはテンポを完全にわるくしている。とくに序中盤においてはそのモンタージュがかなりひどい。ギャグについてもぼくたちにとっては苦笑の対象であろう。大体これはテレビシリーズからはっきりと意識されてたことだ。そう、そもそもターゲット層はぼくらじゃない。

ひとつ言えば、下弦の壱が気に入ってる。男か女か初見だと分からないが、劇中では胸部の膨らみがないのが分かる。彼のキャラクタデザインはまぁまぁ好みだ。今年のハロウィンで彼のコスプレをする女もいよう。が、上述したように長ったらしい説明台詞が引っかかる。そうあっては彼の魅力も半減する(?)は過言か。とりあえずここでおわりにしよう。何故これほどまでに子どもたちに支持されるのかがあらためて分かった。