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201201

 

媒体は何であれ自分を吐き出せない(発信できない)のは今となってはつらいことですが、 その発信というものはほとんどが有象無象に過ぎないわけです。それでもその作品、コンテンツに対する気持ち、これはときに「愛」などとも言いますが、それをイラストやツイート、テキストで吐き出せるのは素晴らしいことのように思います。このとき、その表現(発信)はベタなものになってしまってもいいように思います。とりあえず、みんな誰かの真似事で始めたわけですから。殊に、自分の感情をていねいに記述する(文章化する)のは相当なものです。君は先ず「題材」を拾ってこなくちゃいけませんね。題材はなんであれ、何かハマったものがあって、定義はしませんが「大きな感情」というものを持ったのであれば、その感情を吐き出したいわけです。その練習こそ大事ですが、何も読んでいない、多くに触れてもいないのに「書く」なんて高尚なことはできませんよ。投稿という行為を抜きにしても、テキストを書くこと自体が快楽なわけで、それができないのはつらいですが、いや、先にも言いましたが、それでもどんなにつまらない(ベタな)ことでもいいのです。それでも、「他人に読ませたい」文章を書くことは、それと別なもののように思います。なにが言いたいのかと言えば、ユナスタさんの数日前のブログを読んでほんとうにすごいなと思ったのです。ここまでていねいに自分の感情をすくえるものなのかと、そう思いました。