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指を食む

「デンジ君 エッチな事はね 相手の事を理解すればするほど気持ち良くなると私は思うんだ」
「相手の心を理解するのは難しい事だから 最初は手をじっくり観察してみて……」
「指の長さはどれくらい……?手のひらは冷たい?温かい?」
(中略)
「覚えて」
「デンジ君の目が見えなくなっても 私の噛む力で私だってわかるくらいに覚えて」

チェンソ―マン』2(集英社

チェンソーマンで,マキマがデンジの指を噛むシーンにおいて,マキマは指を噛む,つまりは相手のカラダの部分,パーツを自らの身体的感覚で以てよく理解することで,その相手との性交体験がより気持ち良くなるのだと伝えている。指を噛まれること,相手の口内にわたしの指を含ませること,それだけでも背徳感に包まれるがそこで指を与えている本人が覚えるのは,彼女の歯並びや歯の大きさや,やわらかさ,舌のざらつき,またそれらに先立って口内や唾液のあたたかさであろう。指を舐めさせること,それはフェラチオとちがって両者の顔面の接近が必須なもののように思われるのだが,ゆえに彼女が,自分のを指をなんとも恍惚な表情で欲しがるように舐めているのを間近でまじまじと観察していると,なぜかフェラチオされているときよりもエッチな気分になるのだ。マキマの例に戻れば,「指」とかいう,対象に触れたり,掴んだりして認知する身体の部位が大事なのがわかる。手を合わせ指を絡ませることで,彼女の指の長さ,手の温度をたしかめ,彼女の耳のカタチを確かめることで,徐々に,つまりは,部分から全体(全身)へと彼女のカラダを理解していくことになる。指の太さ,耳のカタチ,鼻のカタチ,乳房の柔らかさ,彼女の匂い(これは嗅覚だが),などなどをじっくりと観察し理解することで,未知であった彼女の身体というものが,自分の理解のなかにおさまっていくのだろう。心よりもカラダが先に理解されるのはとても抗えないことだ,相手の心を理解するのは,そもそも相手に心を開かせるのは容易いことじゃない。先立って肉体が交じることがあってもいい。セックスとは相手の心の鍵を開けるツールなのだと,そう村上春樹が言っていた。

というわけで,このまえ初めて女の子に指を舐めさせてみたのだが,ほんとうにエッチな気分になってしまった。このときが,いちばん勃起していたと思うし,ここが自分のなかでエッチのピークになってしまって,あろうことか挿入でフィニッシュすることが出来ずに終わってしまった。挿入でエッチな気分が下がってしまうのはどうなんだろうな。でも,ほんとうにエッチな気分になれなかった。まったく,彼女に対しては申し訳ない気持ちでいっぱいだった。ようは,彼女のカラダに触れている,口内を指で触れるだったり,乳首を噛んでみるだったり,そうした行為,彼女のカラダを理解しようとする行為,行為をしている自分と理解対象である他者という二者関係を自覚したとき,布に覆われていた身体,言うなれば禁断の果実を味わおうとしている,味わせるという共犯的関係,それ(関係)自体に自覚的であるとき,そのときに限ってほんとうのエッチを感じるのかもしれない。指を噛まれるというのは,嚙まれている本人の視線は自由なものになっていて,その視線は自然と指を食む彼女の表情,口の動きに行く(ゆく)こととなるだろう。もちろん,わたしが彼女の乳房や陰部に向かっているときでも,視線を彼女の顔に向けることはできなくもないが,やはり眼前にあるモノに集中していると思うし,対して,指を噛まれるという行為においては,その視線はより彼女の顔に向きやすいものだと思う。それによって,先程言った,共犯的関係(=行為)に対して自覚的になるのだ。ここまで,書いてみたけど日記体の文章はやっぱむずかしいな。まあそれはいい。以上を踏まえれば,挿入行為において,これは女性器のなかに男性器が入るわけだが,ここではもっぱら男性は男性器で以て彼女の膣内を理解することが望まれるわけで,それと同時に自身が快楽を感じるような運動を目指すわけで,まあそこにテクニックが要求されることになる。

いま思い出したけど,『謎の彼女X』(講談社)でも指を舐めさせる行為は描写されていたな,てかそれが本作の主要部分でもあったわけだが,しかしそれはあくまで,彼,彼女の唾液の採取に終始するものだった。その行為よりかは,その唾液の味が彼,彼女の心情を含むものとして中心的に描かれていて,唾液にそのようなはたらきを持たせることで,相手の本心,素の感情を知ってしまう,知られてしまうという,読者をたのしませる展開を用意していた。